憩いのホームページ −久保田三千代−

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最新記事一覧

花と憩う

ナズナ

2017年12月12日(火)

ナズナ
 日本各地に広く分布し、道端、畑や田の畦道、空き地などいろいろなところに自生するナズナ。
 春の七草の一つとしてお馴染みですが、暖地では通年白い小花を咲かせます。
 名の由来は諸説あって、「撫でる菜」「夏無き葉」、朝鮮語の方言「ナジ」「ナシ」「ナシン」が変わったもの、等々。
 ヨーロッパ原産の帰化植物です。
 別名「ペンペングサ」「シャミセングサ」


書物と憩う

『位置』14号

2016年06月04日(土)

『位置』14号  
 年一発行している、岡山県エッセイストクラブの文集『位置』も14号となりました。
 例年、私の所属しているメール句会「山麓」の主宰・横田淳氏にもお送りして、感想をお寄せいただいているのですが、今年は、クラブの元副会長・中桐美和子さんがお送りしていました。先日、その御返事が中桐さんの元へ届き、お二人の許可を得ましたので、掲載いたします。 

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 先日は、『2016 位置 position』をご恵贈くださりありがとうございました。いろいろ重なっておりましたので、昨日ようやく読了しました。
 久保田三千代さんのご案内で毎年拝読してきましたが、ますます充実ぶりをみせてくれているように拝察しました。
 まっ先に中桐さまのエッセイを拝見しました。
 お便りの中に、「書けないときは読むことにしていますが、もうとしなのでなかなかです」とありましたが、その「読むこと」が詳しく書いてあって、そのエネルギーに圧倒されました。しかも小生の読んでない分野、もっといえば苦手としてきた分野、あえて読まなかった分野がほとんどでした。
  
 いつもこの本を送ってくださった三千茶こと久保田三千代さんの今回のエッセイ「白い花」は、エッセイというジャンルを超えて、亡き人を偲ぶ誠に心打たれる佳品と拝見しました。
 エッセイとして印象深かった5点をあげるなら、以下の作品になります。共通点は、主題がはっきりしていて、文体がきびきびと無駄がない。主題に共感性がある。最初の一行で読者に関心をもたせて、盛り上がりがあってオチがきまっている。自由闊達、ユーモラス、といったところでしょうか。熱く読めても長すぎるのは外しました。この5点は、百合子も同じように読んで、あれは面白かったわ、と賛同してくれました。
 岩城  嵩「メガネ騒動の顛末」
 形山巳喜夫「アンカー」
 中塚 幾美「天岩戸を開いたのは」
 ひさたにゆか「ゆいレールの中で」
 平井 千秋「名医は聴き上手」
 最後に、ユーモラスとは別に、しみじみと考えさせてくれる1点はというと、この作品をあげたいと思います。
 片山 幸子「戦争を知らない私たち」
 作者の苦労も知らないで、勝手な取り上げ方をしてすみません。総じて初期のころにあった文章作成上の基本ルールを脱落したもの、編集の雑駁さといったものは影をひそめ、読ませるエッセイ集になったと拝察しました。
                     横田 淳 Jun Yokota

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 編集・末廣從弌 他編集委員  和光出版  2016年4月


                


旅に憩う

伊丹市昆虫館へ  帰路

2017年08月31日(木)

伊丹市昆虫館へ  帰路  
8月27日(日)午後

 午後1時、昆虫館を後にする。
 往路と同じ道を逆に帰るのだから、助手席にいても気が楽だ。運転はTちゃんに任せているとは言うものの、Tちゃんも若くは無いのだから多少心配なのだ。最近は高速道路での逆走など、老人の事故が多いことだし。
「何が心配なん? 大丈夫よ。そこまでボケとらんわ」
 私は、そろそろ免許証返納を真剣に考えなくてはならないと思っている。

 171号線から中国自動車道、山陽自動車へと入る。よく走っている道だ。
 Tちゃん持参のパンを食べながらのんびりしていると、ブワー、ブバババー! とバイクの音。時速90kmで走っている我が車をバイクが追い抜いて行く。
「バイクの人はヘルメットぐらいしか身を守るものが無いじゃろ。もし事故におうたら無事じゃ済まんよなあ。ようあんなスピードで走るんじゃ」
 他人事ながら心配になる。
「それより前のトラック見てみ。居眠りしよるんじゃねえかな」
 そう言えば、右へ寄ったり、左へ寄ったり、ふらついている。運転手は見えないが、とても安定した運転とは言えない。もしかしたらスマホかなにか、ゲームをしているのかも。
「後について走るんは危ねえな。追い抜くで」
 ひやひやものである。

「三木サービスエリアで休憩しよう」
 もう休憩? 
「ここ、刃物が有名なんよ。見て行こうや」
 刃物!? そう言えば長年使ってきた出刃包丁の柄が壊れている。新しいのが欲しいと思っていたところである。グッドタイミングとはこのことだ。
 が、しかし!! 並べられている刃物はすべて高級品で高い。出刃包丁はと見ると、3万円から10万円以上のものまで。一番安いのでも私の財布では買えそうもない。
「どのぐらいなら買えるん?」
「うーん、5000円ぐらいなら・・・」
「そりゃ話にならんわ。まあ、順天堂みたいな店なら安いのを売っとるけぇ、そうすりゃええが」
 かぼちゃを切ったり、冷凍の魚や肉を切ったりするぐらいしか出刃包丁を使うことが無いのだから、それで十分なのである。

 さて、再び車上の人となる。
「あれ、書写山ロープウエイが見えるよ」
 Tちゃんは運転しながら何でも良く見えるようで、教えてくれるのだが、あわててカメラを構えたころは通り過ぎている。これも遠くて小さくてボケてしまった。
「書写算の社僧正、書写山の社僧正」
 口をついて出たのは、早口言葉「外郎売り」の一節。
 朗読勉強会で発声練習をするのだが、齢と共に滑舌が悪くなって最近はなかなかうまく言えないのだ。
「齢は取りとうねえなァ」
 つい愚痴になる。
「若返ろうと思うのが間違うとるんじゃねえかな。老化は誰もが通る道。受け入れりゃええんよ」
 彼女、えらく悟っている。が、そう考えれば、じたばたせずに済むかもしれない。
 なんだか禅問答のような、哲学的な話をしているうちに、もう山陽自動車道から瀬戸大橋道。
 帰路はあっという間だった。

(写真は書写山ロープウエイ)


 


憩いの風物

ドバト

2017年12月10日(日)

ドバト
 ドバトは、元々はヨーロッパで愛玩用や食用にカワラバトから作られた人口品種です。そのうち、レース用のものが逃げ出したりして、自然繁殖して増えたものです。 
 公園や駅前の広場などの街中でもたくさん見かけますね。糞害に悩んでいる所もあるでしょう。
 普段は「ウー」「クルル」「グルポー」などと鳴きます。

日々の想い

愛執

2017年09月27日(水)

愛執    
「待つ」と言えばまず浮かぶのが万葉集の「君待つとわが恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」である。これは、天智天皇の訪れを待つ額田王がその恋心を詠んだものだ。しかし額田王は、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)との間に子まで設けていたのだという。大海人皇子との仲を引き裂かれて天智天皇の妻となった額田王が、引き裂いた当の天智天皇を心待ちにしている歌。このことを高校の古文の授業で習い覚えて以来、額田王は二人の天子の間で揺れ動く恋多き「情熱の歌人」として私の中で定着した。
 時代は下って平安時代になると、思い浮かぶのは『蜻蛉日記』と『源氏物語』である。
 右大将道綱の母の『蜻蛉日記』には、夫・藤原兼家の訪れを待ち続け、嫉妬に苦悩する女の生活が描かれている。初めて現代語訳で読んだとき、誇り高い道綱の母の苦しみが分るような気がして、随分のめり込んだ。日記と言うよりは私小説を読む感覚に近かった。
そして『源氏物語』。光源氏を取り巻く女人はほとんどと言っていいほど、彼の間遠な訪れを待ち、自分の懊悩に苦しむ。中でも最も強く印象に残るのは六条の御息所(みやすどころ)である。生霊となって正妻の葵の上にとり付き、ついには死に至らせるのだからすさまじい。
この愛執の念は、江戸時代の文学のテーマともなり、近松門左衛門などの世話物となった。
 近代小説が書かれるようになった明治時代も、それは文学のテーマの一つであり続けた。大学生の頃、姪への愛執を書いた島崎藤村の『新生』を読んだとき、思わず息苦しくなるほどなのに、読むことが止められなかったことを覚えている。あの息苦しさは何だったのだろう。
 思えば、日本に文字が伝わったころから、離れ住む人に想いを伝えるには、手紙に歌を添えて送るしかなかった。それは電話という通信手段ができる近代まで続いた。
 現在は、固定電話から携帯電話、スマホへと移り、メールのやり取りで想いは瞬時に相手に伝わる。手書きの手紙のやり取りなどまどろこしいことになった。長く「待つ」必要もなく、「待つ」時のじれったさや、切なさ、苦しさ、期待感など味わうこともない。こういう便利な時代になれば、男女の愛執の念など文学のテーマにはならないのだろうか。いや、そんなことはない。如何に時代が移り変わろうとも、それは変わらない人間の性(さが)だから……。

(これは、「待つ」と言うテーマで書いたエッセイです)


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