憩いのホームページ −久保田三千代−

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最新記事一覧

花と憩う

カワヅザクラ

2017年03月24日(金)

カワヅザクラ
 伊豆の河津町で1955年に見いだされたカワヅザクラ。カンヒザクラとオオシマザクラが自然交雑してできた早咲きの桜です。
 河津川沿いの並木は有名な観光名所となっています。岡山でも阿部池の土手のカワヅザクラ並木はまだ若木ですが、なかなか立派なものです。
 この日はもう満開を過ぎているようでしたが、ソメイヨシノより濃いピンクが雨に濡れて美しく映えていました。


書物と憩う

『位置』14号

2016年06月04日(土)

『位置』14号  
 年一発行している、岡山県エッセイストクラブの文集『位置』も14号となりました。
 例年、私の所属しているメール句会「山麓」の主宰・横田淳氏にもお送りして、感想をお寄せいただいているのですが、今年は、クラブの元副会長・中桐美和子さんがお送りしていました。先日、その御返事が中桐さんの元へ届き、お二人の許可を得ましたので、掲載いたします。 

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 先日は、『2016 位置 position』をご恵贈くださりありがとうございました。いろいろ重なっておりましたので、昨日ようやく読了しました。
 久保田三千代さんのご案内で毎年拝読してきましたが、ますます充実ぶりをみせてくれているように拝察しました。
 まっ先に中桐さまのエッセイを拝見しました。
 お便りの中に、「書けないときは読むことにしていますが、もうとしなのでなかなかです」とありましたが、その「読むこと」が詳しく書いてあって、そのエネルギーに圧倒されました。しかも小生の読んでない分野、もっといえば苦手としてきた分野、あえて読まなかった分野がほとんどでした。
  
 いつもこの本を送ってくださった三千茶こと久保田三千代さんの今回のエッセイ「白い花」は、エッセイというジャンルを超えて、亡き人を偲ぶ誠に心打たれる佳品と拝見しました。
 エッセイとして印象深かった5点をあげるなら、以下の作品になります。共通点は、主題がはっきりしていて、文体がきびきびと無駄がない。主題に共感性がある。最初の一行で読者に関心をもたせて、盛り上がりがあってオチがきまっている。自由闊達、ユーモラス、といったところでしょうか。熱く読めても長すぎるのは外しました。この5点は、百合子も同じように読んで、あれは面白かったわ、と賛同してくれました。
 岩城  嵩「メガネ騒動の顛末」
 形山巳喜夫「アンカー」
 中塚 幾美「天岩戸を開いたのは」
 ひさたにゆか「ゆいレールの中で」
 平井 千秋「名医は聴き上手」
 最後に、ユーモラスとは別に、しみじみと考えさせてくれる1点はというと、この作品をあげたいと思います。
 片山 幸子「戦争を知らない私たち」
 作者の苦労も知らないで、勝手な取り上げ方をしてすみません。総じて初期のころにあった文章作成上の基本ルールを脱落したもの、編集の雑駁さといったものは影をひそめ、読ませるエッセイ集になったと拝察しました。
                     横田 淳 Jun Yokota

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 編集・末廣從弌 他編集委員  和光出版  2016年4月


                


旅に憩う

長島愛生園へ ◆[鮖亡曄全橡

2017年03月23日(木)

長島愛生園へ ◆[鮖亡曄全橡  
3月21日(火)午前
 
 歴史館はツタのからまる古い建物だった。
 この歴史館は、元、1930年(昭和5年)、愛生園の開園に先駆けて竣工された事務本館で、愛生園の事務所として1996年(平成8年)まで使用されていた。(園内は昭和30年代半ばまで、職員と患者の居住地区は厳しく分けられており、入所者は職員地区に建てられた事務本館に立ち入ることはできなかったと言う)
 2003年(平成15年)、内部を改修し、歴史館として新たに開館され、以来ハンセン病と愛生舘の歴史を伝えている。

 受付で氏名を書いて、中へ。一階には、映像室、園長室(再現)、常設展示室、ギャラリーがある。ギャラリーには、収容者の美術部会会員の作品(写真、絵画、陶器等)が展示されている。一つ一つ丁寧に見学して行く。
 常設展示室には昭和30年代の大きな長島の模型があった。手前に海、奥に山、そして民家や学校や収容施設。その中ほどが赤いビニールの線で区切られている。収容者の居住地区との境が示されているのだ。
 二階への踊り場には収容者の油絵が数枚掛けられている。タッチも色も素晴らしい。
 二階の企画展示室では、愛生園で勤務(1958年〜1972年)した神谷美恵子医師の特別展をしている。生きることへの苦悩と不安を抱え、精神疾患を患った入所者に寄り添い、『いきがいについて』『人間を見つめて』等の名著を書いた精神科医。白衣の彼女の写真は、優しく微笑んでこちらを見ていた。

 1時間ほどの見学を終え、外へ出る。
 無口になったTちゃんと私。蕭々と降る雨の中、開園よりおよそ一世紀の園内に刻まれている史跡を巡る。
 まず、収容桟橋。多くの入所者が上陸した浜を見下ろす。今はカキ筏が浮かぶ、風光明媚な瀬戸の海。その桟橋は、当時、職員通勤用の桟橋とは別になっていたと言う。患者たちはどういう思いでこの桟橋を渡ったのだろう。家族とも社会ともここではっきりと隔絶されてしまった……。どんなに辛かったことだろう。
 続いて、入所するとまず収容された建物・回春寮へ。ここで消毒風呂に入れられ、持ち物の消毒もここで行われた。
 そして監房。園内の秩序維持を目的としていたが、実際には逃亡した者を多く収監していた。懲戒権は園長にあり、ほとんど裁判は行われなかったと言う。廃止になったのは、戦後。それも1953年(昭和28年)! それまで使用され続けたのだ。
 監房に押し込められ、人間らしい扱いもなされなかった収容者の苦しみを思うと、胸が苦しくなった。

(写真は官房跡。建物のほとんどが埋められ、今残っているのは外壁のみです) 



 


憩いの風物

邑久長島大橋

2017年03月24日(金)

邑久長島大橋
 1930年に愛生園が開園して以来長島はハンセン病を象徴する島とみなされてきました。
 本土から長島までの距離はわずか30m足らずでしたが、偏見と差別に隔てられ、橋は架けられないままでした。
 1969年に入所者から「橋を架けよう」との声が上がり、架橋運動が始まって、あしかけ20年、1988年、ついに念願の邑久長島大橋が開通したのです。
 水色の美しい橋。車で渡るとあっという間に長島側に着いてしまいました。


日々の想い

無くて七癖

2017年03月19日(日)

無くて七癖
「無くて七癖」と言う。人間は誰でも、七つぐらいは癖があるものだと言うことらしい。
 例えば、爪を噛む。貧乏ゆすりをする。髪をつつく。肩を揺する。瘡蓋をくり返し剝く。鼻をほじる。舌を出す・・・等々、数え上げたらきりがないが、良い癖はあまり無いようだ。
 自分は? と考えたが、七つも思いつかない。自分では気がついていないが、人から見れば相応にあるのだろう。皆遠慮して言わないだけで……。
 性格も同じで、自分では明るくて外交的、若干イラチと思っている。(「若干じゃないよ。相当イラチだよ」と言う声が聞こえてきそうだが……)
 自分にしかわからないはずの自分の内面を鋭く見抜かれると、ちょっとドキッとする。「明るくて社交的」などと言うのは表面を取り繕っているだけで、本当は暗くて内向的なのか……。
 学生の頃、親友に「あなたは本当は暗い人ね」と言われたことがある。驚いた。以来、時々、本当の自分の性格は何なのか? 自分を(つまり他人を)ごまかしてるのか? などと考える。この齢になってみると、そんなことはどうでも良いことになるはずだが、まだ頭をちらつくことがあるのだ。
「久保田さんはいい人ねぇ」と言われると、内面では意地悪な自分を知っているから否定するが、少々面倒くさい。
 妹からは「姉ちゃんはキツイ物言いをする」と言われる。確かに時々キツイ言葉で相手を傷つけることがあるようだ。優しくしているつもりでも、性根のところがキツイのかも知れない。悪気はないのだが、人はそれぞれの感受性で言葉を受け止めるのだから、自分の物差しで測ってはいけないのだと、猛反省する。
 しかし、この反省が続かない。つらいこと、苦しいことは忘れてしまおうとする本能が働くのか、また同じようにキツイ物言いをしてしまうのだ。
 これも私の「無くて七癖」の一つだろうか。

(イラストは、3月11日、毎日新聞掲載のリレーエッセイ「トラウマ」のカットです)




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