憩いのホームページ −久保田三千代−

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最新記事一覧

花と憩う

エビネ

2017年04月28日(金)

エビネ
 庭植えや鉢植えとしても人気の山野草の一つとして、古くから親しまれており、私も大好きなエビネ。代表的な日本の野生ランです。
 全国の山林や竹やぶなど、ややうす暗いところに自生し、春先、新葉が開ききる前にその間から花茎を伸ばして、唇弁のある花をややまばらな総状につけます。
 地味な花ですが、地植えにも鉢植えにも向き、愛好家が多い花ですね。
 節の多いその根茎をエビの尾に見立ててエビネ(海老根)。
 別名「ジエビネ」 花言葉「にぎやか」
「木洩れ日にゆり起されてえびね草」草郷田三洋


書物と憩う

『位置』14号

2016年06月04日(土)

『位置』14号  
 年一発行している、岡山県エッセイストクラブの文集『位置』も14号となりました。
 例年、私の所属しているメール句会「山麓」の主宰・横田淳氏にもお送りして、感想をお寄せいただいているのですが、今年は、クラブの元副会長・中桐美和子さんがお送りしていました。先日、その御返事が中桐さんの元へ届き、お二人の許可を得ましたので、掲載いたします。 

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 先日は、『2016 位置 position』をご恵贈くださりありがとうございました。いろいろ重なっておりましたので、昨日ようやく読了しました。
 久保田三千代さんのご案内で毎年拝読してきましたが、ますます充実ぶりをみせてくれているように拝察しました。
 まっ先に中桐さまのエッセイを拝見しました。
 お便りの中に、「書けないときは読むことにしていますが、もうとしなのでなかなかです」とありましたが、その「読むこと」が詳しく書いてあって、そのエネルギーに圧倒されました。しかも小生の読んでない分野、もっといえば苦手としてきた分野、あえて読まなかった分野がほとんどでした。
  
 いつもこの本を送ってくださった三千茶こと久保田三千代さんの今回のエッセイ「白い花」は、エッセイというジャンルを超えて、亡き人を偲ぶ誠に心打たれる佳品と拝見しました。
 エッセイとして印象深かった5点をあげるなら、以下の作品になります。共通点は、主題がはっきりしていて、文体がきびきびと無駄がない。主題に共感性がある。最初の一行で読者に関心をもたせて、盛り上がりがあってオチがきまっている。自由闊達、ユーモラス、といったところでしょうか。熱く読めても長すぎるのは外しました。この5点は、百合子も同じように読んで、あれは面白かったわ、と賛同してくれました。
 岩城  嵩「メガネ騒動の顛末」
 形山巳喜夫「アンカー」
 中塚 幾美「天岩戸を開いたのは」
 ひさたにゆか「ゆいレールの中で」
 平井 千秋「名医は聴き上手」
 最後に、ユーモラスとは別に、しみじみと考えさせてくれる1点はというと、この作品をあげたいと思います。
 片山 幸子「戦争を知らない私たち」
 作者の苦労も知らないで、勝手な取り上げ方をしてすみません。総じて初期のころにあった文章作成上の基本ルールを脱落したもの、編集の雑駁さといったものは影をひそめ、読ませるエッセイ集になったと拝察しました。
                     横田 淳 Jun Yokota

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 編集・末廣從弌 他編集委員  和光出版  2016年4月


                


旅に憩う

長島愛生園へ  目白寮跡〜納骨堂〜帰路

2017年03月24日(金)

長島愛生園へ  目白寮跡〜納骨堂〜帰路  
 3月21日(火)午前〜午後

 監房跡から坂道をしばらく登ると、小高い丘に目白寮跡がある。ここには歌人・明石海人が入居していた。
 明石海人は、1901年(明治34年)静岡県沼津市に生まれた。結婚後、2人の娘に恵まれ幸せな生活をしていた26歳の時ハンセン病を発病し、1932年、32歳で長島愛生園へ入所している。当初、絶望と苦悩から精神的にも錯乱状態が続いたと言う。しかし、よき同僚、献身的な介護者たちに支えられ、次第に回復。その後、病状が悪化し、視力を失うが、短歌に詩に散文にと多彩で密度のある創作を始め、1939年(昭和14年)、歌集『白描』を世に出した。当時25万部を売り上げ、それは「ハンセン病者の前に灯った一筋の光となった」(歌碑の説明板より)

「監房に罵りわらふもの狂い夜深く醒めてその聲を聴く」海人
 
 歌集を出版したその年、37歳の短い生涯を終えた海人。彼の歌碑は大島青松園や沼津市千本公園、沼津商業高校にもある。

 目白寮跡からまた少し登ると、白いの納骨堂があった。
 ハンセン病に対する偏見や差別の眼は家族にまで及んだため、遺族が遺骨を引き取ることも難しく、園内に残された遺骨はこの納骨堂に納められたのだ。中には亡くなってもなお故郷に帰れない3600柱を超える遺骨が眠っていると言う。

 納骨堂の直ぐ傍に水子供養碑があった。園内で結婚しても子を持つことが許されず、堕胎、断種手術が行われていたのだ。
 水子像は供花で埋まるほどだ。傍の赤いアシビが頭を垂れて、雨に打たれていた。

「花馬酔木水子を抱くようにかな」三千代

 いろいろな思いが胸に溢れる中、長島を後に帰途につく。
「お腹すいたね。どこかでお昼食べようや」
 不謹慎だが、如何に思いがあふれても腹は空くのである。
「ブルーラインの道の駅にしようか」
 道の駅「一本松展望園」はセルフサービスだった。迷いに迷って、結局私はいつものから揚げとビール。Tちゃんはイカの天ぷら定食。(イカの天ぷら定食なんて珍しいのに、写真を撮るのを忘れていた)

 満腹の私に、
「阿部池のカワヅザクラを見て帰ろうか。今満開じゃ思うよ」
 Tちゃんの言葉に一も二も無く、ちょっと寄り道をすることになった。
 阿部池の土手沿いに植えられたカワヅザクラ。何本あるのだろうか。優に100本は越しているだろう。満開を過ぎていたのがやや残念だったが、それでも満足の美しさだった。(今日の「花と憩う」コーナーを参照してください)

(写真は目白寮跡の明石海人歌碑と説明板。これで「長島愛生園へ」を終わります)

 


憩いの風物

アンパンマン列車

2017年04月28日(金)

アンパンマン列車  
 子どもたちに大人気のアンパンマン列車。
 岡山駅発着のアンパンマン列車は、高知県行きの土讃線の他に愛媛県行きの予讃線があります。
 高知行き(中村行き)の土讃線の特急列車【南風】は一日に24本走っていますが、そのうち4本がアンパンマン列車です。土讃線のアンパンマン列車は、外観はオレンジ色とグリーン色の2種類。
 これはグリーンタイプのアンパンマン列車。我が家から見える瀬戸大橋線を走っているところです。拡大して見てくださいね。


日々の想い

山口敏郎展

2017年04月18日(火)

山口敏郎展
 山口敏郎さんに初めて会ったのは2006年のことだから、もう10年以上前のことだ。
 1956年、岡山県に生まれ、武蔵野美術大を卒業後、スペイン・マドリッドに移住してすでに35年。ヨーロッパ、アジアなどいろいろな国で展覧会を開催し、多くの人たちと交流する中で、「生まれ育った東洋と、人生の半分以上を過ごしている西洋との文化の違いに気がつくようになった」と言う。
 その彼の中学校時代の恩師が私の友人Hさん。ヨーロッパ旅行を共にすることが多かった彼女とスペインへ行った時のことだ。マドリッドのホテルに山口さんが訪ねてきてくれて、「家へおいでください」と言う。
 彼の案内で、電車に乗り、大きいマーケットに寄った。店内のパルで軽く一杯飲んだあと、彼のマンションへ。迎えてくれた奥様の手作り料理でまたまた飲んだ。何の関係もない私なのに、気さくに歓待してくれるのが嬉しく、調子に乗って飲み、喋ったことが懐かしく思い出される。
 以来、1〜2年に一度帰国して各地で開催する山口敏郎展には欠かさず足を運んでいる。今年の会場は南区のCAFE・ATELIER。
 中に入ると右手がカフェ、左手がギャラリー。まず目に入るのが白い壁に赤い∞の形が無数に飛んでいるアート。「無限蝶」とタイトル(?)がある。
 正直言って、彼の芸術はよくわからない。絵画とも、彫刻とも、何とも名前の付けようがない。前衛。「コンテンポラリー・アート」と言うらしい。
 ただ、わからないなりに惹かれるのは、俳句でも同様だが、意味で分かろうとせず、感性で感じる、と言うことなのだろう。
「無限蝶」は山口氏の造語のようだが、無限大の形をした蝶の乱舞のイメージか。私にはブーメランのようにも、モミジの実のようにも、竹とんぼの様にも見える。他に、「予兆」「永らえば」「海調」「あの日の風」などのタイトルがついた作品に驚く。どこからこんな言葉を引き出してくるのだろう?
「タイトルは展示している最中に浮かぶのです」
 スペインで俳句もやっていると言う氏。その言語感覚は並ではない。
 カフェでコーヒーをご馳走になりながら、しばし雑談。どんな話題でもユーモアがあり、それでいて研ぎ澄まされた、回転の速い話しぶりにまたまた脱帽である。

 
 満足満足のひと時。小さな緑色の色彩が施された正方形の皿を一枚需めて、帰途についた。

(写真は「無限蝶」)
 


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