憩いのホームページ −久保田三千代−

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最新記事一覧

花と憩う

スズムシバナ

2017年08月20日(日)

スズムシバナ  
 山地の林下の陰地に生え、9〜10月、枝先に3僂曚匹寮鳥膺Г簀鮨Г硫屬1〜数個咲かせます。花は午前中に開き、午後には萎びてしまいます。
 茎は直立し、断面は四角形。5裂する花冠は唇形で、一風変わった花姿ですね。
 名は、スズムシが鳴くころに咲くことから「スズムシバナ」とか。なんだか変・・・。


書物と憩う

『位置』14号

2016年06月04日(土)

『位置』14号  
 年一発行している、岡山県エッセイストクラブの文集『位置』も14号となりました。
 例年、私の所属しているメール句会「山麓」の主宰・横田淳氏にもお送りして、感想をお寄せいただいているのですが、今年は、クラブの元副会長・中桐美和子さんがお送りしていました。先日、その御返事が中桐さんの元へ届き、お二人の許可を得ましたので、掲載いたします。 

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 先日は、『2016 位置 position』をご恵贈くださりありがとうございました。いろいろ重なっておりましたので、昨日ようやく読了しました。
 久保田三千代さんのご案内で毎年拝読してきましたが、ますます充実ぶりをみせてくれているように拝察しました。
 まっ先に中桐さまのエッセイを拝見しました。
 お便りの中に、「書けないときは読むことにしていますが、もうとしなのでなかなかです」とありましたが、その「読むこと」が詳しく書いてあって、そのエネルギーに圧倒されました。しかも小生の読んでない分野、もっといえば苦手としてきた分野、あえて読まなかった分野がほとんどでした。
  
 いつもこの本を送ってくださった三千茶こと久保田三千代さんの今回のエッセイ「白い花」は、エッセイというジャンルを超えて、亡き人を偲ぶ誠に心打たれる佳品と拝見しました。
 エッセイとして印象深かった5点をあげるなら、以下の作品になります。共通点は、主題がはっきりしていて、文体がきびきびと無駄がない。主題に共感性がある。最初の一行で読者に関心をもたせて、盛り上がりがあってオチがきまっている。自由闊達、ユーモラス、といったところでしょうか。熱く読めても長すぎるのは外しました。この5点は、百合子も同じように読んで、あれは面白かったわ、と賛同してくれました。
 岩城  嵩「メガネ騒動の顛末」
 形山巳喜夫「アンカー」
 中塚 幾美「天岩戸を開いたのは」
 ひさたにゆか「ゆいレールの中で」
 平井 千秋「名医は聴き上手」
 最後に、ユーモラスとは別に、しみじみと考えさせてくれる1点はというと、この作品をあげたいと思います。
 片山 幸子「戦争を知らない私たち」
 作者の苦労も知らないで、勝手な取り上げ方をしてすみません。総じて初期のころにあった文章作成上の基本ルールを脱落したもの、編集の雑駁さといったものは影をひそめ、読ませるエッセイ集になったと拝察しました。
                     横田 淳 Jun Yokota

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 編集・末廣從弌 他編集委員  和光出版  2016年4月


                


旅に憩う

帰省 ァゝ宅

2017年06月26日(月)

帰省 ァゝ宅  
 6月20日(火)午後

 高知駅で特急「南風16号」に乗り換える。それにしても、朝倉は特急が停まる駅でありながら窓口は閉鎖、駅員もいない時間帯があるなんて・・・赤字の四国JR,人件費節約のためとは言え、ちょっとびっくりである。
 
 さて南風16号は一路岡山へ。
 途中「ごめん(後免)」と言う駅がある。何度通っても、可笑しい名である。アナウンスが「ごめーん、ごめーん」と流れると、なんだか謝られている気になって、笑ってしまう。
 
 再び急峻な峡谷の続く吉野川に沿って、小歩危・大歩危と進み、阿波池田。
 香川県に入ると眺めがのどかになる。田植えが終わったばかりの水田、讃岐富士。
 瀬戸大橋を渡って、岡山県へ。
 児島で特急を降りて快速に乗り換える。妹尾下車。ここから家まで徒歩30分近くかかる。欲張って土産をたくさんもらっているし、重い荷物を抱えてはとても歩けないので、タクシーを呼ぶ。
 タクシー会社の女性は「すぐお迎えに参ります」と答えてくれたが、待てど暮らせど来ない。もう一度電話してみると、「今そちらへ向かっていますので、すぐ伺います」
 5分後、その社名のタクシーが来た。
「久保田です」と乗り込もうとすると、
「申し訳ありません。私は別の方のお迎えです」。
 頭へきて、「私はもう20分待っているんですよ!すぐ来てくれると言うから。こんなことなら他の会社に頼めば良かった!」
 ががーっと言い募ってしまった。その剣幕に驚いてか、会社と連絡を取っていた運ちゃん、
「申し訳ありませんでした。どうぞお乗りください」
 気短かな性分が出てしまったことを悔いながら帰宅したのは4時前。
 やっぱり自分の家が一番いいなあ、などと考えながら荷物の整理をする。

 たった2日の帰省だったが、いろいろなことを思わせられた旅であった。

(写真は「ごめん駅」で)


憩いの風物

これナーンダ?

2017年08月20日(日)

これナーンダ?
 南の浅い海底でゆらゆら揺れている、奇妙な物体。海藻? いいえ、ハナガササンゴと言う種類のサンゴです。
 そもそも、サンゴは移動しないのに植物ではなく動物だと言うのが私には不可解。。。
「そんなこと小学生でも知っとるで」と言われそうです。アハ・・・。

日々の想い

話の「間」

2017年07月22日(土)

話の「間」                          
 私は人前で何か話さなければならない時、早口になる癖がある。最近は滑舌が悪くなり、そう早口ではなくなったが、気持ちは以前のままで、次から次へ話が移る。話に「間(ま)」が無いのである。
 教員をしていた頃は、終了のチャイムが鳴る前に授業を終えてしまうことが多かった。講義ばかりでなく、生徒に考えさせたり創らせたりすることが大事なのに、その時間をじっくり待つということができない。しばしば予定より早く授業が終わった。生徒は喜んでいたかもしれないが、褒められたことではなかった。
 これは、私のせっかちな性格のせいか? いや、それだけではない。50分間、彼らを授業に集中させておく自信がなかったのだ。
 十分に考える時間がなければ、理解はあやふやなままである。生徒は退屈し、ゴソゴソし始める。集中どころか逆効果だったわけだ。
最近、テレビで某若手政治家の講演を聴いて驚いた。「間」の取り過すぎではないかと思う程、ゆったりとした静かな話しぶりなのだ。彼は時折、聴衆に問いを投げかける。
―少しの間(ま)―。
 聴衆は答えを考え、次の彼の言葉を食い入るように待つ。彼らがぐいぐいと話にひきつけられていくのが分った。
 このように、つい聴き入ってしまう話し手がいると思えば、居眠りしてしまう下手な話し手もいる。両者の違いはどこにあるか。
 声や滑舌の良し悪し、表情、身振り手振りなど。聴衆をひきつける要素はいろいろあるが、最も大事で効果的なのはこの「間」ではないかと思う。
 演説がうまい政治家は、「間」をたくみに使っている。数秒の沈黙、そしてまたおもむろに口を開く。大声で矢継ぎ早にガンガン主張するより、ずっと説得力がある。
 つまり、ここぞという所で「沈黙」という余白を使って、聴衆の心をつかむのだ。これこそが弁論術というものに違いない。
 ひるがえって私。深い学識や話し方の自信の無さが早口に拍車をかけ、かえって逆効果になっていた。
 これからでも精進して、少しでも自信が持てるようになれば、「間」のある説得力のある話ができるだろうか。いらいらする、せっかちな性分はいまだに直らないのだが……。

(これは、7月22日、毎日新聞岡山版のリレーエッセイに掲載されたものです。テーマは「余白」)

                 


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