憩いのホームページ −久保田三千代−

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思い出方程式
2013年08月24日(土)
思い出方程式 「6対3対1」と聞いて何を連想するだろうか。
 これは心理学の研究で、さまざまな経験・世代の人の思い出を調査した結果である。
 回答の割合は、平均して、楽しい思い出が6割、中間的な思い出が3割、つらい思い出が1割になったという。
 人の一生はさまざまで、世の中は生きづらいものだ。どちらかと言えば苦しい思い出を持つ人が多いのではないかと思っていたから、この結果は意外である。
 しかし、還暦を過ぎた自分に当てはめてみると、やはりそんなものだな、と納得する。
 ふと、古い記憶がよみがえってきた。
 まだ小学生にはなっていなかったと思う。そのころ私には決まった小遣いというものがなかった。たまにもらう5円玉を持って近所の駄菓子屋へ行き、一個1円のあめ玉を買うのが楽しみだった。
 腹を空かせて遊びから帰ったある日の午後。家には誰もいなかった。おやつらしいものは何もない。あの駄菓子屋に並んでいる一個10円のあんぱんが目に浮かんだ。
 食べたい。でもお金は? そうだ、水屋の引き出しにある! 
 そこにいくらかの硬貨が、裸のまま入れられていていることは知っていた。
 台所へ行き、そーっと引き出しを開ける。10円玉が4〜5枚と5円玉が1枚。ドキドキしながら10円玉を1枚つかんだ。そしてあんぱんを手に入れ、まる飲みするようにして食べた。
 その夕方、私は荒縄で柱に縛りつけられた。泣いてわびても父は許してくれない。表通りから見える柱に縛られて泣いている私を見て、近所のおばさんが、
「まあ、許しちゃりや」と父にとりなしてくれ、
「三千代ちゃん、もうこんなことせんやろ。約束するもんねぇ」と涙を拭いてくれた。そして、やっと縄は解かれたのだった。
 思い出すのも恥ずかしい、つらい記憶のはずなのに、今私は、このことをほほえみながら思い出している。つらくないのだ。それどころか、厳しくしつけてくれた父の姿や、助けてくれた近所のおばさんの姿、悪いことと知りながら、空腹に負けて「盗む」という行為をしてしまった幼い自分の姿がほうふつと浮かび、懐かしさで胸がいっぱいになっている。
 どうやら人は皆、自分の経験を心の中で整理し、美化して、楽しい記憶に変えて生きていくものらしい。
 
(これは8月24日、毎日新聞岡山地方版のリレーエッセイ(テーマは「記憶」)に掲載されたものです。オチの部分を少し修正しています)

虫愛づる姥
2013年07月19日(金)
虫愛づる姥 「あなたはシャクトリムシやらイモムシやら、あんな変なもんが好きなんじゃなあ。怖くないん?」
 如何にも気持ち悪そうに友が言う。最近、私が詠む俳句に虫がよく登場するからだろう。しかし、それは誤解である。特別に好きというわけではない。以前は、見ただけでも気持ちが悪くて鳥肌が立つ虫もあった。
  それが、俳句を始めて、自然の中の小さなものにも目を凝らすようになると、慣れてきたのか、虫に対する気持ちが次第に変わってきた。少なくとも、〈おぞましい〉とか〈怖い〉とか思わなくなった。
  最近は、外へ出るときは必ずデジカメを持って行き、面白いと思ったら何でも即シャッターを押す。毎日更新するホームページに載せるためである。
  ここ一週間のホームページを振り返ると、シャクトリムシ、テントウムシの幼虫や成虫、蝶のコミスジ、アゲハチョウの幼虫、モンシロチョウ、蛾のユウマダラエダシャク、すべて庭で見つけた昆虫である。
 これらの写真に簡単な説明をつけ、時には駄句を書く。カメラの腕前はまるで駄目だが、デジカメでパチパチやっているうち、一枚ぐらいは使えるものができる。
  写真に写った虫たちの姿を見ていると、シャクトリムシも、アオムシも、みなかわいく思えてくる。シャクトリムシが尺をとってΩ(オーム)型に身を縮めたり、平らに伸ばしたりしながら前進する姿など、健気で、切なくて、涙ぐましいではないか。

  尺蠖(しゃくとり)の匍匐前進いつか空
 
 この春は庭の木にアブラムシがべったりと発生した。それを一日5千個も食べるというテントウムシがほとんど退治してくれ、薬を使わずにすんだ。そのうえ、テントウムシが交尾する姿も、小さな薄い翅を懸命に動かして飛び立つ瞬間も写せた。
 ミカンの葉の上に、アゲハチョウの幼虫がいる。焦げ茶色のその体は鳥の糞のように見え、とても「可愛い」とは言い難い。しかし、これがもう少しすると鮮やかな若緑色の、目玉のくりっとしたイモムシになるのである。そして蛹になり、優雅なアゲハチョウに変身する……。懸命に生きている虫たち。それを思えば、糞のような幼虫まで愛らしい。
「やっぱり、あなたは変わっとるわ。こんな変なもんがかわいなんて」と友は言う。
「虫愛づる姫君」ならぬ姥(うば)の私は「人間の方がよっぽど変だよ。怖いよ」とつぶやく。

(これは、7月18日、山陽新聞夕刊の「夕刊エッセイ」に掲載されたものです)


大阪城築城残石群
2013年06月18日(火)
大阪城築城残石群 「前島の石切り場の跡を見に行こうやあ」と誘ってくれる友があり、五月晴れのある日、出かけた。
 瀬戸内市の牛窓からカーフェリーで5分。あっという間に前島である。
 外周約8キロメートル。観光と漁業が主な産業で、民宿などの宿泊施設や研修施設もあるが、なにぶん小さな島のこと、2車線の道路はほとんど無い。目的の石切丁場跡は、標高137メートルの東山の山頂近くにある。
 しばらくは、細くて曲がりくねった、しかも急な坂道を走る。対向車が来たらどうやって交わせばいいのだろう。カーブミラーばかり必死で見ていると、
「あ、海が見える」とか「あっちに白い花が咲いとるで」とか、能天気に指差す友。
「やめてー。頼むけぇ前向いて運転してー」
泣くように言う私。
 ヒヤヒヤしながら助手席で固まっていたが、ようやく「大阪城築城残石群↑」という標識のある駐車場(駐車スペース?)に着いた。ここからは遊歩道を行く。
 いかにもワラビなどが生えていそうな山道である。つい探す目つきになる。そうしてゆっくり歩いていくと、左て奥に大きな岩石が見えた。傍には切り割られた石がごろごろと放置されている。
「ここじゃあ。すげえなぁ」
 江戸時代初め、再建された大阪城の石垣に使うため、前島のこの岩も切り出されていった。その石切丁場の跡で、「前島大阪城築城残石群」と呼ばれているところだ。幅5〜6メートル、高さ2〜3メートルもある大きな母岩の真ん中には、縦一直線に矢穴が打たれている。下の方を見ると、何やら記号のようなマークが刻まれている。
「こりゃあ藩の刻印じゃな。池田藩じゃろか」
「いや、松尾藩主の堀尾家の印らしいで。福山やら山陰の藩もここの石を切り出しとったんじゃて」
 いっぱしの「歴女」気分でしげしげと見ていると、今にも「おい、邪魔だよ」と工夫たちが現れて鑿を振るい始めそうな気がする。
「へえでも、どうやってこの石を港まで運んだんじゃろ」
「ほんとじゃなぁ。考えて見りゃあ昔の人は偉かったぞなぁ」
 ふと脳裏に、エジプトのピラミッドが浮かんだ。規模も時代も違うが、東西の古の人々の知恵のすごさを思い、苦労をしばし偲ぶ。
岩の上に立ち、眼下に瀬戸の海を眺める。きらきらと輝く海面。遠く霞んで見える島々。
 ホーホケキョ ケキョケキョケキョ。鶯の声が聞こえる。汗ばんだ頬を5月の風が撫でていく。

(5月に「旅に憩う」コーナに書いたものをエッセイにしてみました)



名前
2013年05月01日(水)
名前 ご多聞にもれず、歳と共に物忘れがひどくなりました。特に名詞が出てきません。テレビでよく見るタレントや政治家、久し振りに会った知人の名前、憶えているはずの動植物の名前……。
「あれ、ほらあの春咲く花、あれ何じゃった?」
  こんなことはしょっちゅうです。
ところが、絶対忘れない名前もあるのです。
例えば、早春、野原や道端で瑠璃色の小花を群れ咲かせる「オオイヌノフグリ」。実が二つあり、「犬のふぐり(陰嚢)」に似ているからの名。別名の「瑠璃唐草」や「星の瞳」の方がずっとこの可愛い花にふさわしいと思うのですが。
また、何処にでも生える蔓草の「ヘクソカズラ」。茎や葉を踏みつけたりすると悪臭があるから。花は小さいながらなかなかしゃれたデザインの可愛いものなのに、可哀そうな名です。
ひどいのは「ママコノシリヌグイ」。茎にかなり鋭い棘があります。これで「継子の尻を拭う」なんて、すごい名をつけたものです。
他にもありますが、どの名も可憐な花とのギャップが大きく、初めて聞いた時以来忘れられない名前となった次第。
さて、これらで一句詠んでみたいものですが、さすがに「ママコノシリヌグイ」では詠めそうにありません。 

※これは、季刊句誌『明』19号の編集後記用として書いたものです。俳句誌の編集後記としては長すぎるようだし、あまりにも編集とはかけ離れているし……、でも、オチに俳句を持ち出してちょっとそれらしくしたりして。
竹本監修に「編集後記は何を書いてもいいんだよ」と言われて、載せることになりました。

(写真はオオイヌノフグリ)



           

「なまり懐かし」
2013年03月30日(土)
「なまり懐かし」    
 
 定年退職した妹の祝いを、足摺岬まで車で5分ほどのところにあるペンション「サライ」ですることになった。3年ぶりの帰省である。
 迎えてくれた姉夫婦と妹夫婦、私の5人で墓参りをすませ、車で「サライ」へ向かう。
 県道から林の中の小道に入ると、芋畑や民家が数軒。はるか沖合に釣り船が数隻見える。どこか、牛窓のペンション村への道に似ている。しばらく行くと、クリーム色の壁に赤い屋根の瀟洒な建物が見えてきた。
「サライ」とはペルシャ語で「宿」とか「家」を意味するとか。おしゃれな名である。
「いらっしゃいませ。お疲れでしょう」
 丁寧な言葉で迎えてくれたのは、ペンションのオーナー夫人。
 2階の和室「星の間」へ通される。
「夫婦二人だけでしよるけんねぇ、3組しか予約は取らんがよ」
 私たちが土佐清水市出身だと知って、彼女の言葉は急に地の言葉(土佐の幡多=はた=方言)に変わった。
 食堂にはすでに宴会の準備ができていた。海鮮料理がずらりと並べられている。
「うちの人が毎朝、港で仕入れてくるけん、どれも新鮮ながぜ」
 料理の一つ一つを丁寧に説明してくれる。
「かんぱーい!」
 姉の音頭で宴が始まった。刺身、天ぷら、たたき、鍋、煮つけ、ムニエル等々、どれもおいしい。
「やっぱり生きが違うねや」
「ほんまにうまいねぇ」
「けんど、こればぁあったら食べきれんぞね」
 口も手も動きっぱなしである。姉は
「頭の目の部分がうまいがやけん、それもサラバエてよ」「骨もスバブッたらえいがぜ」
などと言いながら、夫の世話を焼いている。次々と出てくる懐かしい言葉。
 ちなみに、「サラバエル」とは「すっかり食べてしまう」こと、「スバブル」は「口ですするように」する食べ方のことである。
「残った料理はアラケて、お持ち帰りにしてもろたらえいね」と節約家の妹が言う。
「アラケル」は「よける」というほどの意味。どれも標準語では表せない微妙なニュアンスを持つ方言である。
 ふと「故郷の訛懐かしペンションに集へる同胞にそを聴きに行く」と浮かんだ。泉下で啄木が笑っているだろうか……。
 遠慮なく故郷なまりで話し、座はますます盛り上がる。ビールと獲れとれの魚と、久し振りの幡多なまりを堪能しながら、賑やかに宴は続く。


※これは今日(3月30日)、毎日新聞「リレーエッセイ」に掲載されたものです。テーマは「会話」。写真は「サライ」で出された海鮮料理。
 

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