憩いのホームページ −久保田三千代−

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せっかち
2018年02月18日(日)
せっかち  子どものころからせっかちでおっちょこちょいだった。
 小学5年生のときのことだ。算数の授業では最初に小テストをするのが決まりだった。右端の列、4番目の席で、前から配られてくる用紙を手に取り、後ろに回す。用紙には、小数点の掛け算の問題が十問。ああ、簡単だ。鉛筆を持つ手ももどかしく、解いてゆく。
「先生、できました!」
 教卓にいる先生のもとへ、誰よりも早く、勢い込んで持って行った。若くて、今で言うならイケメンの先生だ。赤ペンで○を付けてくれる・・・くれるはず、ン……?
「久保田、全部間違うちょるやいか。どうしたんなら。慌てちゃいかんぜよ」
 早く早くと焦るあまり、問題を勘違いしてしまっての失敗だった。
「落ち着いて解かないかんぜ」
 こんな調子だから学期末には通知表の所見欄に「何をするのも早いが、雑である」と書かれ、両親は「さすがに先生はよう見ちょる」と笑った。
 さて、成人後。人と会う時は約束の時間を逆算して家を出る。たいていは車だ。一時に駅で、ならば十二時に出れば充分間に合うが、十一時半ごろにはいらいらし始めて、十一時四十五分には車に乗る。早く着きすぎる。もちろん友人はまだ来ていない。
 待つ……。それにしても遅い……。忙しく行きかう人の群れに目を凝らすが、姿は見えない。とうとう携帯電話を取り出して、
「今、どこ? 私、駅にもう着いとるよ」
 せかされた友は、
「もうすぐ着くよ。もう、イラチなんじゃからぁ」とあきれている。私はと言えば、ほっとしてようやく落ち着く。
 思えば、携帯電話が無かった昔は、ただ待つしかなかったのだ。そうは思うものの、今でも、「急用ができたのか」「渋滞で遅れているのか」「もしかしたら事故にでも遭ったのではないか」とあれこれと心配になる。それなのに、相手がにこにこしながら遅れて来ようものなら、つい、
「どしたんでぇ! 心配したがぁ。遅れるんなら電話せられぇ!」
 せっかちで、待つのが嫌いな性分は直りそうもない。
                     

(2月17日、毎日新聞岡山版「リレーエッセイ」に掲載されたものです。テーマは「待つ」。写真は平昌オリンピック・男子フィギアで銀メダルを取った宇野昌磨君のフリーの演技。この文章とは関係ないですが、私はファンなので。。。アハ!!)



生かされて詠める幸せ大旦
2018年01月19日(金)
生かされて詠める幸せ大旦
◆一日は長いのに、一週間は早く、一年はもっと早く感じるのは歳のせいでしょうか。2017年もあっという間に過ぎたように思います。
降り返れば、地震や台風などの天災、総選挙では「希望」小池党首の「排除」論による立憲民主党の躍進、そして安倍保守政党の勝利、また、9人もの人が次々と殺された恐ろしくも気味悪い事件……。これから先、日本はどうなっていくのでしょうか。不安が頭をもたげます。
◆今号では、第十回明賞の発表をしています。応募者が昨年より12人も少ないのが残念ですが、力作が揃っています。じっくりと読んでください。また、4人の編集委員の、「竹本先生との出会い」エッセイも掲載しています。4人それぞれの思いを読み取って下されば幸いです。
◆川崎益太郎・千鶴子夫妻の句集には、12人の同人から「句集の一句」が寄せられました。限られた時間に二冊の句集を読み、一句を選んで鑑賞文を書くのはなかなかの力技です。著者の方々に感謝申し上げます。
◆さて2018年はどのような年になるでしょうか?
俳句に遊べる、穏やかで平和な年でありますように。皆さまの健康とご健吟を、心から祈念して……。
  生かされて詠める幸せ大旦   (三千代)
               
(これは俳誌『明』37号に書いた編集後記です。写真はフォト譜と目次)




謹賀新年
2018年01月02日(火)
謹賀新年  
 明けましておめでとうございます。
 2018年が始まりました。
 昨年は世界も日本もきな臭い年でした。
 今年はどんな年になるでしょうか。

 私的には、例年同様、俳誌『明』の編集、句会、歌会、、エッセイストクラブの諸行事、朗読勉強会への参加、市民劇場運営サークルの世話、「岡山市民文芸」随筆部門の選者、等々で忙しく出歩いた年でした。
 年々、早寝早起き(それも「超」がつくほどの)が習慣となって、夜の外出は苦手ですが、飲み会だけはいそいそと出かける呑んベーなのも相変わらずでした。
 腰痛を何とか軽減したくて始めた「カーブス」の筋トレは腰痛には効果無しですが、会員の中に出来た仲良したちとの気軽なおしゃべりが楽しくて続けています。
 
 今年も俳句、短歌、エッセイを書くことには苦しむでしょうが、趣味として、また生きがいとして、楽しんでいきたいと思います。

 皆さまにとって本年が良い年になりますように。
                           平成30年元旦



愛執
2017年09月27日(水)
愛執    
「待つ」と言えばまず浮かぶのが万葉集の「君待つとわが恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」である。これは、天智天皇の訪れを待つ額田王がその恋心を詠んだものだ。しかし額田王は、天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)との間に子まで設けていたのだという。大海人皇子との仲を引き裂かれて天智天皇の妻となった額田王が、引き裂いた当の天智天皇を心待ちにしている歌。このことを高校の古文の授業で習い覚えて以来、額田王は二人の天子の間で揺れ動く恋多き「情熱の歌人」として私の中で定着した。
 時代は下って平安時代になると、思い浮かぶのは『蜻蛉日記』と『源氏物語』である。
 右大将道綱の母の『蜻蛉日記』には、夫・藤原兼家の訪れを待ち続け、嫉妬に苦悩する女の生活が描かれている。初めて現代語訳で読んだとき、誇り高い道綱の母の苦しみが分るような気がして、随分のめり込んだ。日記と言うよりは私小説を読む感覚に近かった。
そして『源氏物語』。光源氏を取り巻く女人はほとんどと言っていいほど、彼の間遠な訪れを待ち、自分の懊悩に苦しむ。中でも最も強く印象に残るのは六条の御息所(みやすどころ)である。生霊となって正妻の葵の上にとり付き、ついには死に至らせるのだからすさまじい。
この愛執の念は、江戸時代の文学のテーマともなり、近松門左衛門などの世話物となった。
 近代小説が書かれるようになった明治時代も、それは文学のテーマの一つであり続けた。大学生の頃、姪への愛執を書いた島崎藤村の『新生』を読んだとき、思わず息苦しくなるほどなのに、読むことが止められなかったことを覚えている。あの息苦しさは何だったのだろう。
 思えば、日本に文字が伝わったころから、離れ住む人に想いを伝えるには、手紙に歌を添えて送るしかなかった。それは電話という通信手段ができる近代まで続いた。
 現在は、固定電話から携帯電話、スマホへと移り、メールのやり取りで想いは瞬時に相手に伝わる。手書きの手紙のやり取りなどまどろこしいことになった。長く「待つ」必要もなく、「待つ」時のじれったさや、切なさ、苦しさ、期待感など味わうこともない。こういう便利な時代になれば、男女の愛執の念など文学のテーマにはならないのだろうか。いや、そんなことはない。如何に時代が移り変わろうとも、それは変わらない人間の性(さが)だから……。

(これは、「待つ」と言うテーマで書いたエッセイです)

話の「間」
2017年07月22日(土)
話の「間」                          
 私は人前で何か話さなければならない時、早口になる癖がある。最近は滑舌が悪くなり、そう早口ではなくなったが、気持ちは以前のままで、次から次へ話が移る。話に「間(ま)」が無いのである。
 教員をしていた頃は、終了のチャイムが鳴る前に授業を終えてしまうことが多かった。講義ばかりでなく、生徒に考えさせたり創らせたりすることが大事なのに、その時間をじっくり待つということができない。しばしば予定より早く授業が終わった。生徒は喜んでいたかもしれないが、褒められたことではなかった。
 これは、私のせっかちな性格のせいか? いや、それだけではない。50分間、彼らを授業に集中させておく自信がなかったのだ。
 十分に考える時間がなければ、理解はあやふやなままである。生徒は退屈し、ゴソゴソし始める。集中どころか逆効果だったわけだ。
最近、テレビで某若手政治家の講演を聴いて驚いた。「間」の取り過すぎではないかと思う程、ゆったりとした静かな話しぶりなのだ。彼は時折、聴衆に問いを投げかける。
―少しの間(ま)―。
 聴衆は答えを考え、次の彼の言葉を食い入るように待つ。彼らがぐいぐいと話にひきつけられていくのが分った。
 このように、つい聴き入ってしまう話し手がいると思えば、居眠りしてしまう下手な話し手もいる。両者の違いはどこにあるか。
 声や滑舌の良し悪し、表情、身振り手振りなど。聴衆をひきつける要素はいろいろあるが、最も大事で効果的なのはこの「間」ではないかと思う。
 演説がうまい政治家は、「間」をたくみに使っている。数秒の沈黙、そしてまたおもむろに口を開く。大声で矢継ぎ早にガンガン主張するより、ずっと説得力がある。
 つまり、ここぞという所で「沈黙」という余白を使って、聴衆の心をつかむのだ。これこそが弁論術というものに違いない。
 ひるがえって私。深い学識や話し方の自信の無さが早口に拍車をかけ、かえって逆効果になっていた。
 これからでも精進して、少しでも自信が持てるようになれば、「間」のある説得力のある話ができるだろうか。いらいらする、せっかちな性分はいまだに直らないのだが……。

(これは、7月22日、毎日新聞岡山版のリレーエッセイに掲載されたものです。テーマは「余白」)

                 

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