憩いのホームページ −久保田三千代−

最新5件

過去ログを見る

帰省 ァゝ宅
2017年06月26日(月)
帰省 ァゝ宅  
 6月20日(火)午後

 高知駅で特急「南風16号」に乗り換える。それにしても、朝倉は特急が停まる駅でありながら窓口は閉鎖、駅員もいない時間帯があるなんて・・・赤字の四国JR,人件費節約のためとは言え、ちょっとびっくりである。
 
 さて南風16号は一路岡山へ。
 途中「ごめん(後免)」と言う駅がある。何度通っても、可笑しい名である。アナウンスが「ごめーん、ごめーん」と流れると、なんだか謝られている気になって、笑ってしまう。
 
 再び急峻な峡谷の続く吉野川に沿って、小歩危・大歩危と進み、阿波池田。
 香川県に入ると眺めがのどかになる。田植えが終わったばかりの水田、讃岐富士。
 瀬戸大橋を渡って、岡山県へ。
 児島で特急を降りて快速に乗り換える。妹尾下車。ここから家まで徒歩30分近くかかる。欲張って土産をたくさんもらっているし、重い荷物を抱えてはとても歩けないので、タクシーを呼ぶ。
 タクシー会社の女性は「すぐお迎えに参ります」と答えてくれたが、待てど暮らせど来ない。もう一度電話してみると、「今そちらへ向かっていますので、すぐ伺います」
 5分後、その社名のタクシーが来た。
「久保田です」と乗り込もうとすると、
「申し訳ありません。私は別の方のお迎えです」。
 頭へきて、「私はもう20分待っているんですよ!すぐ来てくれると言うから。こんなことなら他の会社に頼めば良かった!」
 ががーっと言い募ってしまった。その剣幕に驚いてか、会社と連絡を取っていた運ちゃん、
「申し訳ありませんでした。どうぞお乗りください」
 気短かな性分が出てしまったことを悔いながら帰宅したのは4時前。
 やっぱり自分の家が一番いいなあ、などと考えながら荷物の整理をする。

 たった2日の帰省だったが、いろいろなことを思わせられた旅であった。

(写真は「ごめん駅」で)


帰省 ぁ…倉駅
2017年06月25日(日)
帰省 ぁ…倉駅  
 6月20日(火)

 久しぶりにベッドではなく畳の上で就寝したら、敷き蒲団は硬く、掛け布団は重たく、借りた浴衣は肌け、何度も目が覚めた。義姉とは初めての同室で、多少気を遣ったのもあるかもしれない。
 
 外がぼんやり明るくなってきた。何の鳥だろうか、優しい鳥の声が聞こえる。車の音や人の声などいっさい聞こえない。
 5時過ぎ、いつもより少し遅く起きた。

 7時、朝食。朝からたっぷり、豪華なメニューだ。昨夜の御馳走がまだ腹に残っているようだが、これを見たら食べずにはいられない。
「美味しい卵かけご飯にする方法、教えちゃろうか」とサライの女主人。
「卵を白身と黄身に分けて、白身をかき混ぜてメレンゲにするんよ。それをご飯にかけて、黄身をのせて食べる。ふわーっとして美味しいぜ」
 なるほど。口当たりが違う。
「うちは、おもてなしコンクールでいろんな賞をもろちょるがぜ。有名人も来る。今、人気の三山ひろしが来た時の写真もあるぜ」
 三山ひろしのファンクラブに入って追っかけをしている妹は大喜び。
「歌もうまいし人柄もえいし、三山ひろしとやったら結婚してもえいわぁ」
 5人の孫がいる65歳のおばさんが何を言うやら・・・。

 さて、サライをあとに義姉と姉の家へちょっと寄る。用意してくれていた土産を山ほどもらって、ルン!
 姉の住む団地に、幼馴染で妹の親友のSちゃんが老後のための家を建てている。丁度法事で帰っていて、一緒に高知まで帰ろうということになった。彼女は高知から飛行機で東京へ帰るのだ。
 明るくて世話好きなSちゃんを加え、4人を乗せたプリウス。再び同じ道を走る。妹の運転も次第に慣れて、会話に花を咲かせる。
 途中、芋けんぴ専門店に入り、妹たちは土産にと買い込んだ。
 隣の道の駅で早めの昼食。と言ってもお結びと味噌汁だけ。朝食を摂ってから3時間ほどしかたってないから、これで十分である。

 私は昨日と同じ朝倉駅から、岡山行の特急に乗る。駅で切符を買わねばならない。余裕を持って駅に着いた。さて切符の窓口・・・。あれ!? 窓口が閉まっている。この時間帯は開いていない、部分的無人駅だった。
 では自動券売機。ところが、どう見ても岡山行の切符が無い!徳島行はあるのに。。。
 Sちゃんが持っていた時刻表で確かめてくれる。
 どうやら、もうすぐ高知までの特急「あしずり」があり、高知駅で「南風」に乗り換えるらしい。
「とにかく高知まで買いや。それから車掌さんに言うたらえいけん」
 やれやれ。常識なし、生活力なしの私だけだったら途方に暮れるところだった。

 (写真はホームから見た朝倉駅。丸太造りの風情ある駅舎。拡大して見てください)


 

帰省  ペンション「サライ」
2017年06月23日(金)
帰省  ペンション「サライ」  
 6月19日(月)夜

 墓参りを済ませて、今夜の宿泊所、ペンション「サライ」へ。
 足摺半島の東側の県道を行くと、サライは足摺岬まで車で5分ほどの位置にある。県道から鬱蒼と茂った林の中の小道に入り、畑や数軒の民家の脇を通って行く。遥か沖合に釣り船が見えるが、ここから海岸までは急な崖路を下らなければならない。もちろん人しか通れない。

「サライ」は赤い屋根の瀟洒な建物だ。どこか岡山の牛窓のペンション村に似ている。ただし、ここにあるペンションはこの「サライ」一軒のみだ。「サライ」はッペルシャ語で「宿」とか「家」を意味するらしい。おしゃれだなあ、と思っていると、オーナーらしき中年女性が、
「ようこそ。いらっしゃいませ。だれたでしょう」と迎えてくれた。(「だれた」とは疲れたと言う意味の方言) 
 早速2階の客室に案内される。妹夫婦はベッドの部屋、姉夫婦は和室。私は、遅れてくる義姉と同室で和室。他2部屋はペット同伴用の部屋だとかで、今夜は犬を連れたカップルが宿泊するのだそうだ。

 高台のここのどの部屋からも太平洋が眺められる。
「朝日が昇るがも、月が昇るがも、この水平線から見えるがぜ。ほんまにえい眺めよね」
 化粧気もない素朴な雰囲気のオーナーが誇らしげに言う。
 
 さて夕食前に入浴を済ます。義姉も一緒に、4人のおばさんの裸(!)を想像していただきたい。優に70垓瓩はありそうな妹、上半身はガリガリに痩せているのに腕や足は筋肉質な姉、ふっくらとした長身の兄嫁。お腹ポッコリの私。
「見事なババアばかりやね」と笑いながら、湯船につかり、沖を眺める。露天風呂のような心地よさだ。
 
 さて宴会。皆生ビールで「カンパーイ」。義姉以外は呑兵衛ばかりである。
 テーブルには窪津の大式網で今朝獲れたばかりの魚介類の料理が所狭しと並べられている。(オーナーが魚介の名前と料理名を教えてくれたが、ほとんど忘れてしまった) 
 ご馳走を食べながら、もちろん飲みながら、6人のおしゃべりが始まる。タイの煮つけには、
「頭の目の部分もサラバエル(すっかり食べてしまう)がぜ」と姉。
 妹は「骨もスバブッタラ(口ですするように食べたら)えいがやろ」
「このナガレコ(一枚貝の一種)はドンブッテ(潜って)獲ったがやね」と義姉。
 姉の夫Oさんは「三千代さん、しっかりタベリヨ(食べなさいよ)」
 なつかしい土佐幡多方言のオンパレードである。いつの間にか私も、
「このイヨ(魚)飯は、何の魚がハイッチョルガヤロ(入っているのかしら)」
 自然に故郷言葉になっている。

 こうして、宴は延々と続いたのでありました。

「故郷の訛りなつかし船溜まりの漁師(おとこ)らの中にそを聴きに行く」三千茶

 啄木の真似をしてみました。アハ!

(写真は刺身の盛り合わせ。鰹、蛸、鯛、鰹のたたき、清水鯖など。この清水鯖は土佐清水の名産で、刺身で食べられるのが自慢。もちろん鮮度が良いからですが)
 


 


帰省 ◆(荵欧
2017年06月22日(木)
帰省 ◆(荵欧
 6月19日(月)午後

 妹の夫・Iさんの運転で一路土佐清水市窪津へ。
「どこかでお昼を食べないかんね。夜がご馳走やけん、軽いもんにしょうや。私がおごるけん」
 妹の提案で道の駅のような大きなうどん屋へ入る。食べるものは何でも良いが、うどんがビールに合うとは思えない。ぞろ、呑兵衛が顔を出す私。
 メニューを見ると「鶏の唐揚げ」がある。
「これ。それからビール!」
「まあ、呆れた。運転手のIさんは飲めんのに・・・。飲んだらえいけんど、発泡酒にしいよ」
 節約家、言いかえればケチの妹の半ば命令である。
 発泡酒? こんな店で発泡酒を出してるかな。。。飲めれば別にどちらでも良いのだが……。

 結局発泡酒は無く、キリンの生を注文。Iさんはざるうどん、妹は天ぷらうどんを頼んで、十分満足の昼食だった。

 土佐佐賀あたりから太平洋が見え始める。打ち寄せる波が白く砕けて、爽やかな海だ。サーフィンをしている人もいる。
 この碧い海を見ると、ああ、帰って来たなあ、と思う。以前は父母に会える喜びで盆と正月の2回、心ウキウキと帰ったものだ。父も母も亡くなってからは帰省も間遠になった。生家は人に貸してあるし、姉の家に泊めてもらうのも気兼ねで、つい墓参りもせずに5年近くたってしまったのである。自分でも薄情者だと思う。

 中村(現在は四万十市)近くで運転手が妹になった。ずーっとペーパードライバーでどこへ行くにも夫に乗せてもらっていたのだが、心機一転、もう一度教習所へ通って、運転をすることにしたと言う、
「私も自立せないかん。もしIさんに何かあったときには困るけん」
 車はプリウス。初心者マークを貼って走り始める。
 どこまで運転するのかと思っていたら、結局墓地のある窪津まで運転し続けた。窪津では姉夫婦が待ってくれていた。
 5人で坂の上の墓地へ登って行く。腰が悪いIさんと私はゆっくりとしたペース。他の3人に遅れて歩く。
 姉が手入れをしてくれている墓は草もなく、花筒に樒も活けられていてきれいだが、隣の墓地は草ぼうぼうである。
「都会に出て、帰ってこれん人の家の墓やね。こんな墓が増えたぜよ」
 淋しい話である。

「久保田家の墓」ここに34歳で亡くなった兄、68歳で亡くなった父、81歳で亡くなった母が眠っている。
 墓石を拭き、水をかけ、線香をたき、米を祀る。久しく親不孝をしたことを謝りながら手を合わした。

「父母眠る岬や枇杷の実の熟るる」三千茶

(写真は墓地のある丘から見下ろした窪津港)


 

故郷へ  ‘探沺崙酩」3号
2017年06月21日(水)
故郷へ  ‘探沺崙酩」3号  
 6月19日(月)午前
 
 妹の退職祝いと墓参をかねて、久しぶりに帰省することになった。この前帰省したのは2012年11月。妹の定年退職を祝っての姉妹の集いだったが、妹はその後も嘱託として働き、今回は再退職、と言うわけである。
 姉も私も定年前に退職している。仕事への情熱と体力に勝る妹は65歳まで働いたのだから立派と言うしかない。
 朝、8時23分、瀬戸大橋線備中箕島駅から乗車、児島まで鈍行である。児島から中村行特急「南風」3号に乗り換える。平日のせいもあってか、車内はガラガラ。ゆったりと席について、さて、どんな旅になるかと思いを巡らせる。
 
 かつてはマイカーを運転して土佐清水市までの360Kmをリューリューと(?)走ったものだが、最近は運転にまるで自信が無い。特に高速を走るのは怖い。目も耳も判断力も反射神経も、何もかも衰えている。で、高知まではJR、高知からは高知市に住む妹夫婦の車に乗せてもらって帰るのだ。

 瀬戸大橋を渡る。いつもは二階の車道を走るのだが、列車はその下、一階の鉄道を走る。次々と目に入る鉄橋が邪魔になって、景色が良く見えない。それでも瀬戸内の島々、海はやはり美しい。
 四国へ入る。四国山脈を横切って、香川県から徳島県へ。
 阿波池田あたりから吉野川が見え始めた。山々はまさに万緑である。
 吉野川が見えだしたころ、車内アナウンスの解説が始まった。
「皆さま、日本三大暴れ川の一つとして数えられ、四国三郎の異名を持つ吉野川が見えてまいりました。〜略〜 特に大歩危・小歩危は、大理石の彫刻がそそり立っているような奇岩に囲まれ、深い群青色の川に白波がたって、大変美しい渓谷になっております。しばらくその眺めをお楽しみください」
 
 写真、写真。カメラを用意して、いざ!と構える。
 が、左右の木々とトンネルにまたしても邪魔されて、ここぞ!と思った瞬間には、もう木々、あるいはトンネルの中……。もう少しゆっくり走るサービスをしてくれればいいものを・・・。
 
 あっという間に美しい峡谷は過ぎ、高知県に入った。
 青田で働く農夫が見える。ビワの実が黄色く熟している。長閑な良い景色である。
 高知駅に着いた。ホームの横幕に「まちよったぜよ ようこそ土佐路へ」とある。

「故郷の訛は嬉し高知駅『待ちよったぜよ ようもんた(戻った)ねや』」三千茶
 
 妹の最寄りの駅の朝倉駅。そこまで約10分。
 11時47分、朝倉駅下車。
 ホームで妹夫婦が出迎えてくれた。

(写真は何とか撮れた吉野川)


 

最新5件

過去ログを見る

mk0167@lily.ocn.ne.jp